中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「医療崩壊とは」を考える(3)

これまで、医師と教師、医療崩壊と学校崩壊を並べて書いてきたが、
今回は、医療に関してのみ書こう。

私は医療関係者に多くの知り合いがいるので書きづらいのだが、私の知り合いの医師たちは
優秀な人たちなので尊敬しているし、頼りにもしている。
しかし、私自身が帰国後にあちこちの病院、医院などで診ていただいてきた医師を総合判断して
やはり「頼りない」という評価を下さざるを得ないのは残念だ。

決して健康体でない私は、15年間のカナダ、オーストラリア生活の中でも多くの
医師たちにお世話になったが、彼らはもっとたくましく頼りになる雰囲気も持っていた。
彼らのその自信に満ちた態度は、医師になるまでの過程にあるのだと私は考えている。

このような話をすると、多くの医師たちはそうではないと反論するだろうと思う。
しかし、医学部入学時の生徒数と卒業して医師国家試験が受かるまでの数字を見ると
日本の場合は、入学時の90%ぐらいは国家試験に合格しているのではないだろうか。
これらの数字を正確に把握していないので何とも言えないが、大体そのあたりだと
考えている。

欧米の場合、医学部入学時を基準にすると、医師試験に合格するのは多分50%を切っている
はずである。
ここで、医学部入学と言う言葉を使ったが、日本の場合は大学3年生になって初めて
医学部に入ったと考えている生徒も少なくないようだ。少なくても以前はそうだった。

豪州を例にとると、医学部入学とは、高校から大学に進学した時を基準に考えている。
日本の医師と話していて、こんなことがあった。
豪州では、医学部に入学して数か月目に死体置場のプールから死体を引き揚げて来て
午前中の授業で解剖実習をするという話をした時のことだ、「日本でも同じだよ」と
いう答えだった。
よく話を聞くと、大学3年生の時のことなので、豪州の場合と事情が違う。教育課程
2年間という考え方が欧米にはないところが多い。医学部入学と同時に、蛙の解剖など
をやり、医師としての適性があるかないかを試すのだ。

多くの生徒は、1年目に落後していき、卒業まで進むものは50%を切ることになる。
適性を試すということは、とても大切な要件である。
教師も医師も適性のない人にやってもらいたくない。

日本の場合は、医師免許さえ手に入れれば、どんな医療科目を唱えようと構わない
という仕組みになっている。「自由標榜」と言うやつである。
私の家の近くで、耳鼻咽喉科のクリニックがある。いつの間にか「形成外科」も標榜し
狭いクリニック内でカーテン一つ隔てて耳鼻咽喉科と形成外科が都内合わせになって
いる。もちろん一人の医師が、あっちに行ったりこっちに行ったりして治療をしている
と言うわけだ。(つづく)