中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「医療崩壊とは」を考える(2)

教師や医師の「レベル」を考えるとき、何を基準にすればよいだろうか。
教師も医師も試験と言う関門がある。
医師の場合は国家試験であり、教師の場合は各都道府県別の採用試験があるが、
私学の場合は、資格さえあれば採用は各校の裁量の範囲である。

いずれにしても、試験さえ受かれば「レベル」が保証されるというものではない。
なぜならば、いずれの試験にも「適正」が考慮されていないからである。
医師になるためには、いろんな適正が必要となる。
血を見ただけで気分が悪くなるような人は適正ではない。
子供の嫌いな教師がいたとすると適正ではない。

子供が好き、患者と関わるのが好きでないと、教師も医師も務まらないのではないか。
それなのに、どちらの場合も資格を取得する段階で、適正度に関して厳しくないところに
問題が存在する。

教師も医師も昔に比べてレベルが下がったと感じるのは、やはり適正でない人がいるから
ではないだろうか。
医師も教師もミッション(使命)を必要とする職業である。
しかし、今の医師や教師に使命感を持って日々仕事に携わっている人がどれぐらい
いるのだろう。

病気を治してやる、勉強を教えてやる・・こんな考え方を持った教師や医師には
使命感よりも、医師になりたかった、教師になりたかったというだけの、「なりたかった
からなっただけ」の独りよがりのタイプと言えるだろう。

こういう教師や医師が多くなってきている現状では、学校崩壊、教育現場の崩壊、
医療崩壊などと言うことが起こってきても不思議ではない。
この二つの職業には、共通したものがある。
仲間を守ろうという強い意識である。
お互いに切磋琢磨し、鍛え合うというよりも、傷を舐め合うという感じの人が
多いのも事実だ。

それぞれの職業の意義を考え、もっと高いものを目指し、切磋琢磨の姿勢を貫いて
ほしいものである。
とんでもない医師がいるのに、仲間の医師はそれを見て見ぬふりをする。
教師の場合もそうだが「見て見ぬふりをする」のは、原理原則から外れていて、
教師でも、医師でも「適正」な人とはみなさせない。
質の高い職業人として、誇りを持って切磋琢磨してほしいものだ。