中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

二つの面白い出来事(2)

その(1)の続きを書こう。

昨夜、家内は未だ風呂から上がって髪を乾かしているころ、私は早々と・・と
言っても午前2時ごろベッドに入った。
最近、ときどきポータブルCD プレイヤーにヘッドホンをつけて睡眠時に
愛用している。
私は毎月あちこちに原稿を書いている。エッセイ、コラムなど最近十数年間
書き続けて
いる。
どうしても夜に原稿を書くことが多くなるが、特に深夜に書いた場合は、ベッドに
横になってからも文章が頭の中に湧いてきてどうしようもなく眠れないことがある。
そんなときには、音楽を聴くと思考が邪魔され、文章も出てこないので入眠には
都合が良い。

いつもは、交響曲を聴くことが多い。たとえばベートーベンの第5番など、うるさ
くて眠れないだろうと思われると思うが、私の場合は、ダダダダ~~~ンと聴くと、
心が落ちつき眠りやすくなる。第9番も良く聴くしモーツアルトもよく聴くが、
チャイコフスキーは、バレエのシーンなどが思いだされて睡眠時には効果が
ないようだ。

時には、落語も聴く。意外と落語というのは、ベッドに横になって聴いていると
面白くない。誰かが何かしゃべっているな・・という感じで、いつの間にか眠ってしまう。

昨夜は、以前に大好きだったサラ・ブライトマンのCDを入れて聴いた。
はじめの「アヴェ・マリア」の歌声が耳に入ってきた途端に心が乱れ始めた、
次の「私を泣かせてください」の曲に代わったころには、目に涙が溢れ3曲目の
「ウインターライト」になって慟哭に至ってしまった。

このサラ・ブライアントの曲を最初に見つけたのは、豪州パースの我が家の
近くの「ソレント・キー」という中規模のショッピングモールだった。ここは
「ヒラリーヨットハーバー」とも言われ、巨大なヨットはバーがある。
我が家から直線で1キロ、歩いて15分だが、毎日のように近隣の家並みを
眺めながらこの「ソレント・キー」に行くのが日課だった。

湾内にある歩道橋を渡りながら、そこに繋がれている「FOR SALE」(売り物)の
ヨットやレジャーボートを観ながら歩く。
安いものでは三十万円もあれば買えるし、高いものでは一億円もする。
このヨットハーバーには一億円以上の高級ヨットやボートだけでも百隻を超えるだろう。
西豪州は、人口比で世界一のヨット・ボート大国でもある。

ショッピング街を歩きながら、あちこちの店に入る。これも日課だ。
ある日、思わぬ綺麗な歌声が聴こえてきたので店に入り、その歌声のCDを
買い求めたのがサラ・ブライトマンのCDだった。
以来、ドライブ中に聴き、家でも聴いていた。
世界一の歌声と言われる彼女の歌は、心にしみわたる。癒される。

帰国後、兵庫県立粒子線医療センターで粒子線治療を受ける際に、僅か数分間の
治療ではあるが、患者の希望する音楽を所望することができるシステムだったので、
このCDをかけてもらいながら治療を受けたものだ。

それなのに、退院後3年半の間、これまでいちどもこのCDを聴いたことがない。
入院時にいやな思い出があるわけでもないが、この曲を聴くと病気、治療という
意識が思いだされるのではと、無意識のうちに遠ざけていたのだろう。
昨夜、引き出しの中のCDを見つけ、3年半ぶりにこの曲を聴こうと思った時も、
あの病院の治療台の上を思い出すだろうと思っていた。

ところが、曲が聞こえ始めると直ぐに、家内と手をつないでソレント・キーを散歩
している風景が鮮やかに脳裏に現れたのだ。今日の出来事のように、先ほど歩いて
来たばかりのように・・・。
今も幸せである。毎日、二人で幸せをかみしめている。
パース時代には「幸せだね~~」と語り合っていたのに、帰国後はパース時代を
思いだすことがほとんどなかった。パース時代を懐かしむ会話もあまりしない。

しかし、曲が進むと同時に、パース時代の幸せな日々が脳裏を一杯にさせた。
目から涙があふれるだけでなく、わずか3曲目で慟哭してしまった。
もう、これ以上歌を聴き続けると苦しくなりそうになり、ヘッドホーンをはずし、
入浴後まだ洗面所にいた家内に抱きついても慟哭がとまらなかった。

「どうしたのよ」「何があったのよ」と尋ねる家内にものも言えない。
あとで説明する、と言い、やっと涙でいっぱいの目を洗顔して、リビングに
行ってTVをつけ、心が落ち着いたところで妻に説明した。

「な~~んだ、良かった。何があったのかと心配したよ・・」と妻は言った。

涙は、悲しい時ばかり出るものではない。嬉しい時も幸せを感じた時にも
出るものだと実感しました。歳をとると泣くことが少なくなるらしい。涙が枯れて
しまうものらしい。
しかし、昨夜の私は、若いころに負けないぐらいの量の涙が出た。
未だまだ若い証拠だと喜んでいいのだろうか。
そういえば、これまでのどんなに苦しく悲しい出来事を思い出しても泣くような
ことは一切ない。

一日過ぎた今日も、私の心は幸せ色で一杯だ。神様・仏様は時々素晴らしい
プレゼントをくださるものだと感謝している。