中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

妻と語り合った、百人一首・田子の浦・・の意味

  今日、妻が突然に「百人一首って時代と共に変わるってことあるの?」っていう。
えっ??なになに?と問うと、私が子供の頃に学校で習ったのは違うのよね・・
いつの間に変わったんだろう?っていう。
 妻がしっかり覚えていたのは
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」 山部赤人
だった。 だからいつの間に
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ」に
変わったのだろう?って考えていたんだそうだ。
 私は、それは思い違いだと思うよ。「田子の浦ゆうちでてみれば・・・」は
万葉集に入っている和歌なので教科書に載っていたんだと思うよ。・・そして、
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」 
山部赤人・・・は、新古今集に入っているもので、これが百人一首に選ばれた
ということで、意味も少々違うんだよね・・・と、。
 それにしても小学校で習った万葉集をしっかり覚えていたとは、それはそれで
凄いことだ。 妻は記憶力に関しては私よりはるかに優れている。こんな会話を
していて、私は改めて万葉集田子の浦ううち出てみれば真白にぞ富士の
高嶺に雪は降りける」と 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺
に 雪は降りつつ」 の意味の違いを改めて学び直したという次第。
 「田子の浦ゆ」の(ゆ)が持つ意味が大きいし、(雪が降りけり)と(雪が降りつつ)
とはかなり意味合いが違う。(真白にぞ)と(白妙)も違う。
 もっと詳しく・・と思う方は、どうぞお調べください。