中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

我が人生最後のワールドカップを堪能した

 生きるということは、時間が過ぎて行くということ。時間と言うものは、
大切にしようが粗末にしようが関係なく過ぎ去っていく。 過ぎた時間と
言うものは二度と取り戻すことはできない。
 そういう意味では「今」はとても貴重なのだ。いくらでも時間があると
思っていた若いころと、残された時間が少ないことを自覚している今と
では、時間に対する思いが違っている。 だからといって、今の時間を
特別に大切にするという術もない。 時間はそれとなく、音もなく、さりげ
なく通り過ぎて行く。
 そんな時間のなかに組み込まれたワールドサッカー決勝戦と言う2時間
を、4年後には見られないだろうなと思いながら「楽しむこと」にした。
 結果は4-2でフランスが勝った。ランキングからいってもフランスが上位
であるし、勝って当然といえるのだがわたしはクロアチアに勝たせてやりた
かった。 1991年のユーゴスラビアからの独立後のセルビアとの内戦で
クロアチアが自由を得たのは1998年ごろだった。昨日まで隣同士、近所
同士で親しくしていた人たちが突然に紛争に巻き込まれてにらみ合うという
人間の愚かしい面をさらけ出した紛争でもあった。
 私は、そんなクロアチアから逃げてきていた人と豪州・パースで知り合い
話を聞かせてもらったことがある。 
 昨夜の決勝戦は、そんなこんなを思い出しながらの観戦となった。
試合としては、あまりいい試合とは言えなかった。最初の1点がCKからの
防戦中のオウンゴールであったし、PKをとられた判定にも疑問が残る。
ハンドと言うのは意図的にやった場合に反則となるが、あの局面でボール
が手に当たったのは意図的と言えるだろうか??と言う疑問が残る。
 ビデオ判定であったが、それでも「どこまでが意図的なハンドなのか」と
今後に論議が起こるだろう。 
 フランスでは勝利に酔ったフアンがシャンゼリゼ大通りの店から略奪したり
して騒いだそうだ。 テロに心配もあり警察などは大変だっただろう。
 喜ぶのと騒ぐのとでは「性質」が違う。 騒ぐのは愚かなことだ。