中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

児童虐待の問題は行政では解決できない

児童虐待問題がクローズアップされているが、この問題の根は深く、
行政に頼っても解決はできそうにない。
子供の大きな鳴き声が聞こえる・・・と警察に連絡がある。警察は
それを児童相談所(児相)に連絡する。
児相には各種の問題がたくさん持ち込まれていて、警察から連絡を
受けても素早く対応できない事情がある。
 警察や児相は行政機関であり、それぞれに役割が違う。警察は
事件になれば対応してくれるが、予防的なものには至って冷淡だ。
児相には経験豊かな専門的職員がとても少ない。
 このような現実の中にあって、児童虐待問題が解決できるわけがない。
児童虐待問題を専門に扱う省庁はどこなのだろうか?
警察と児相では管轄省庁が違う。縦割り行政の日本では管轄が違うと
問題の根本的解決には至らない。 
 今の状態では、たらいまわしされている内に「問題」が事件化してから
動くということになりかねない。
 児童虐待問題を解決するためには「一元化」を進めなければならない
のではないだろうか。
 では・・どこに一元化すべきなのか?児童虐待が多くなっている要因
の大きな問題は、いま大人になっている世代の人たちの時代の幼児教育
ができていなかった・・ということに発する。
 もちろん、素晴らしい幼児教育を受けて育った人たちもいる。しかし、それは
少数派に過ぎない。 家庭教育をしっかり受けてこなかった子供が大人に
なり、親となって、手探りで子供を育てる。しかしやはり家庭教育をしないままに
子育てしてしまう。 だから・・文科省がやるべきことだと思うのだけど、文科省
ほどあてにならない省はない。長い歴史の中で、、いつのまにか家庭教育と
いう基本的な教育をしっかり育ててこなかったツケが今の社会にあらわれて
いるのだと思う。
 戦後の混乱がもたらした最も大きな「抜け殻」ではないかと考えている。
私は15歳の時に「児童相談所」とは、児童の相談に乗ってもらえるところだと
思って児相の扉を開けて入ったことがある。67年前のことである。その時に
児相は、子供である私の相談に乗ってくれないで、家に連れ戻したのだった。
だから67年前から、児相は児童のためにあるのではないと知ってしまった。
いま学生たちの「児相」に対する印象はすこぶる悪い。その原因を作ったのも
児相そのものなのだ。何のための児相なのか、根本的に論議されるべきである。