中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

エッセイ「風景の違いに深い意味がある」(1)

連載エッセイ 「風景の違いに深い意味がある」(1)
(週一連載)
 
 山に登った経験が1度しかない私には山登りの楽しさなんて書けるはずはありません。
 しかし、想像してみると高いところに登った時に見える風景ってきれいだろうなと思うのです。しかし高いからきれいだとは限りません。高度によって自生する花が違うでしょうし季節によっても風景は異なってきます。今度は別の山に登ろうかという誘惑のようなものが、登山好きの方たちの頭の中にわいてくるのかとも思ったりします。
 今日、日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長)が、呼吸不全で逝去されました。105歳でした。
 日野原さんは、老いのあり方を説いた「生き方上手」などの著作を出されていますが高齢者医療に深い関心を持っておられたようです。
 私はもう少しで83歳になろうとしていますが、日野原さんが83歳以降に経験された「風景」はどういうものだったのか想像もできません。100歳を超えてから見えた風景とはどのようなものだったのでしょう。
 私は70歳の時に前立腺がんを告知されました。告知されたときにも風景は変わりませんでした。前立腺がんの詳しい検査を受け、かなり深刻な状態までがんが進んでいて手術もできませんと言われたときも、それほど動揺はありませんでした。
 70歳の9月に14年ぶりに豪州から帰国したときに見た神戸の街並みの風景は大きく変わっていて、豪州で見ていたニュースとは大きな違いを感じました。私の知っている神戸はどこにあるの?と思うほどに神戸は変わっていて、3か月ほどは、記憶にある地図や風景と実際の風景の違いに戸惑っていました。
 大震災を受けて、こんなにも大都市が変わってしまうものなのだと、その時に実感したものです。
 神戸の街が変わった風景になったのは大震災の故でした。海老蔵さんの奥様の小林真央さんが乳がんの告知を受けたとき、そしてその後に心の中で大きく周囲の風景が変化していったことと思います。
昨日まで美しく見えた花も、花がそこにあることにすら気が付かないほど心の中の風景が変わったのではないでしょうか。
 後期高齢者という75歳前後になると、これまでにない肉体的変化を味わいます。そこには自分自身が初めてみる風景が次から次へと広がっていくのです。
 このエッセイでは、そういった変化が、やがて誰もにやってくるのだということも含めて書いていこうと思っています。