中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

死が近い人が思うこと「死にたくない」

在宅医療を受ける人が多くなっている。
政府が病院のベッド数を減らしている政策が在宅で
医療を受ける患者を多くしている。
病院が死に場所と考える人が多くなっている現状の
中で、自宅で死を迎えてはいかがでしょうか?と提案
されているようにも思える。
 それはそれでよい。
私も病院よりも我が家で死を迎えたい。
ところが、このような傾向の中にあって、いわゆる在宅医
という医者が増えてきた。
10年前には在宅医が少なかったのに・・どんどん増えてきている。
ところが・・在宅医にふさわしくない医師がこの分野に進出して
来ているのは納得できない。
在宅医は、言い換えればホスピスの自宅版である。ホスピス
というものを知らない人もいるだろうから、念のために書いておくと、
がんなどで死が近いと判断された患者が入る病院だと思えばよい。
病院と違うのは、積極的治療はしないで、痛みなど患者が抱えて
いる辛い部分を緩和することを主目的としている。だから緩和治療
とも言われる。
 在宅医療の場合には、痴呆の人も多い。いまは痴呆なんて言う
のはいけないそうだが、認知症などと言うよりも痴呆症と言う方が
理解しやすい…と私は思っている。在宅医も認知症患者への医療
と、がん患者への治療とでは大いに異なる。認知症患者は、比較的
長く生きる。
 しかし、がん患者の場合はで、在宅医療を受ける患者は間違いなく
比較的近い将来に死を迎える。
だから死と直面するのが在宅医の宿命ともいえる。
 こういう場合、患者の側から言わしてもらうと、明るい医師や看護師
が来てくださると嬉しい。できたら(できるわけないが・・・)落語の一席
でもやってくれるような医師が良い。
ところが、暗く、陰気で、患者の目を見て話せないような医師までこの
世界に飛び込んでくるようになっている。
医院、クリニックに来てくれる患者が少ないから、この世界に入った
のか、がん患者たちのために自分の生涯をささげようとして在宅医に
なったのか・・・。 患者たちにとって、どちらが喜ばしい医師かは自ずと
明らかだ。
 かといって・・2000人看取りました・・というように、自慢している医師
もあまり歓迎ではない。早々とあちらに送り込んでいるのでしょうか?
と問うてみたくなる。
 在宅医としては、難しい問題がいくつもあると思う。どこまで治療を
すべきか、治療を全くしないで緩和だけに絞るのかも難しい。
がん医療とは、そんなに簡単ではないのだ。
激痛や苦痛で患者が早い「お迎え」を待っているという場合と、患者は
それを望んでいるが家族が少しでも長生きを・・と言う場合のさじ加減も
難しい。
 私だったら・・・と思って書いておこう。
私は在宅医師を決めてある。できるなら・・肺炎の手遅れで対岸へと
向かいたい。だから、自分の年齢や病状を理解したうえで、場合に
よっては、手遅れになるように自分で仕向けることもできるかと思う。
動ける間・・自分で自分のことが十分にできる状態での病気には
積極的に治癒するように努力する。
 しかし、体の老化が進んで、周囲に迷惑をかける可能性があるよう
なら、積極的治療をしないで・・手遅れに持ち込むだろう。
 ここで、はっきり書いておきたいことが、人はだれでも・・・・・・・
死が近づいてきていても「生きたい」と思っているものであって、早く
逝きたい・・と、思うことはあまりないだろうと思う。
死の覚悟なんて・・・若い者が言うことで、本当に死が迫ってきたときに
覚悟なんて、何の役にも立たないと思う。
 あくまで・・死は、この世に生まれてきたその人が、この世から去る
時なのであって、だれも来世があるなんて、死の寸前に信じてはいない
のではないかとも思う。
 簡単に死ねないし、死なせてくれないし、死んではならないのだ。
だから、戦争なんかで、人を殺すなよ!! と言いたい。