中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

連載 メモワール・生きていることは偶然の重なり

 連載 メモワール・生きているのは偶然の重なり

第6回

世の中にはたくさんのドラマがありすぎます。
テレビというものができる前には、それほど
ドラマなんてものはなかった。
 歌舞伎とか人形浄瑠璃とか、お芝居とかも
多くの作品は定番ものであって、同じ作品を
何度も上演し続けていたものです。 
映画の時代になってからも、いまもテレビドラマの
ように多作ではなかった。 
歌舞伎の場合のように、定番になっている作品の
ほうが、内容が深くなり、演技が研ぎ澄まされて
完成度が高まるものだ。  

今のドラマは、新作ばかりなので、制作する側は
大変だろうなと思ってしまう。
こんなにいろんなドラマを次から次へと作っても、
みんな同じように見えてしまうから、役者を
俳優とも女優ともタレントともいうが、ひっくるめて
役者のほうがわかりやすい)
あれこれ使い回して出して新味を出そうとしているが、
目の肥えた視聴者には面白くもなくなってきている。


 私の場合は、よほどの特番でもない限り2時間もの
 ドラマには目もくれない。
 次から次へと殺人が起こるようなドラマは大嫌いだ。
 推理小説なら読んでいる間に自分でイメージを作って
 行けるけれど、テレビ化してしまうと、妙なリアル感が
 あって観ておれない。


 それでも、こんなにドラマがたくさん作られるという
 裏には「事実は小説より奇なり」という名言があるように、
 ドラマを上回る現実があるからだろうと思われる。
 その現実たるものは、ほとんど偶然の結果のようなもの
 ではないだろうかと、私はおもっている。


 犯罪というものは、人間ならだれにも犯す可能性が秘め
 られている。
 犯罪には欲望と憎愛が関係することが多い。
 物欲のために犯罪に及ぶこともあるだろうし、性欲の
 ために罪を犯す場合もある。
 あるいは憎しみが増して罪を犯すこともある。
 このほかにも、主義主張によって犯す罪もある。


 はっきり言って、罪を犯した人は、犯罪者という
 よりも異常者である。
 人は正常と異常との線上の上で生きている。
 多くの人は犯罪を計画することもある。しかし、
 それを実行には移さない。
 実行に移す人は、その時点で異常者なのだ。
 幸せすぎて、一度も犯罪計画を持ったこともないと
 いう人もいるだろうが、多くの人は、線上で悩み
 苦しみぬいている。
 そういう時に、神か仏かご先祖様が導いてくださる。
 信仰というものは、時として戦争を起こし世界平和を
 乱し、凶悪犯罪を招くばあいがある。


 でも自分の心に中にいる神?に問うと、正しい道に
 (何が正しいかは別として導かれる。

その瞬間は、偶然のような瞬間でもある。1昨日、42歳の

奥さんが、眠っている御主人を金属バットで殴り、刃物で
切りかかったという事件があった。どこにもありそうで、
実行に移す人は少ない。
魔が差した・・と言う言葉では済まない。その瞬間に
異常者に転落したのだ。