中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(70)

 大事件は二つ続いて起きた。そしてその二つが「第1次オイル
ショック」と関係する。
一つは、ある家族の集団自殺と、それに絡む暴力団問題。もう
一つは「不渡り手形」をもらったために、私が「不渡り」を出す
羽目になったことだ。
 二つとも私の人生の中にあって忘れられぬことなのに、うっかり
書き忘れていたと言うわけだ。
 
 ある日、一人の従業員が無断欠席した。休んだことのない人
だったので電話をすると、兄が急死したという。驚いて彼女の
家に駆けつけると、実は彼女の兄が奥さんと子供を道連れに自動
車で排ガス自殺をしたと言うのだ。この事件は、翌日「オイルシ
ョック自殺第1号か」と大きく報道された。翌日には「自殺の背
景に暴力団ありか」と報道が大きくなって行った。
 彼女の父と兄は工務店を経営していた。オイルショックで資材が
急激に値上がりし、すでに契約していた住宅建設が資材高騰のため
に赤字がかさばり経営不安になったので、町の闇金融業者から金を
借りたが、乗り切れずに自殺に追いやられたと言う報道だった。
 私はこの日から、この事件にかかりっきりになってしまった。
なぜならば闇金である暴力団組長から、毎日のように催促が始まっ
たからである。息子家族が自殺をしたと言うのに彼らは容赦はなか
った。ある新興宗教(今では日本の政治に関わっている)の集会場
にも使われるほど大きなお家だったが、暴力団が絡む事件と分かって、
その宗教団体出身の市会議員も寄り付かなくなってしまった。
 毎夜のごとく、組長と子分が外車に乗ってやって来ては「早くこの
家を渡せ、金を返せ」と脅すから、残された家族は震えあがってしま
っていた。私が代理人として暴力団と話し合うことになった。組長は
「マキノ」名前も文字もすべて 記憶しているがマキノとだけ書いて
おこう。当時のことをよく知っている人には、灘区のマキノで充分分
かるようだ。
 事件の内容はこうだった。彼女の兄は資金難の中、銀行で3番抵
当まで付けて金を借りたが足りないので、町の金融業者であるマキノ
に金を借りた。それでも足りないのでマキノに相談すると、金は貸す
が、このままでは銀行に何もかも持って行かれるぞ。だからわしから
1億円を借りたことにするために、わしあてに1億円の手形を書けと
知恵を授けたが、これが罠だった。借りたのは1千万円ほどだったが、
この1億円の手形が彼の心の負担となり、世を儚んで家族を道ずれに
したと言うわけだった。
 しかしマキノは、1億円の手形は有効だと主張する。彼とのやり取
りは毎夜に及んだ。家族は隣の間に息をひそめて、私たちの会話に耳
を傾けていた。
 組長とのやり取りだけならまだしも、昼間にもしんどい交渉が待ち
受けていた。お父さんと言う人は「仏の・・・」と言われるというよ
うな風貌をしている。大工さんなのでアホではない。しかし、私は何
もできませんという態度だった。今考えると息子家族を失ったショッ
クが大きかったのだろうと思う。しかし、工務店に債権を持つ人たち
は、自殺したからと言って許してはくれない。誰もがオイルショック
で経営が苦しかったからでもある。親父さんと一緒に債権者周りをし
て、債権の放棄をお願いする。しかし「死んだら借金が消えるのなら、
わしらだって死んでしまいたい」とか「うちの店あてに遺書でも書い
てあったのか」と言う人もいた。自殺したから許される、借金が棒引
きになると言うほど世間は甘くはない。
 ここで私の経験が生きた。彼ら債権者たちが、次の決算に際して「損
金計上」の仕方を教えることで、30件ほどあった債権者は、1件を除
いてことごとく了承してくれたものだった。昼間は債権者周り、夜はマ
キノとの直談判の連続だった。