中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「想定外」なのか「想定をはずした」のか

 福島第1原発事故では東電から、いち早く「想定外」発言があったので、
私は直ぐに反論を書いた。
 その後の東電会長の記者会見でも同じようなことを言っていたのには
驚いた。
 そのそも想定していたか、していなかったかは、身勝手な論理である。
自社の都合のよいように「想定」しておいて、いかにも不可抗力だったかの
ような言い方で「想定外」を使うのは許されない。
 これまで、原子力の専門家が、スリーマイル島チェルノブイリ事故や、
日本のあちこちの原発の隠された事故、いかにも些細な事故と言い逃れて
来たような事故の検証の上で、原発の危険性をこと細かく指摘し、改善を
求め、あるいは運転中止を求めてきたものだ。
 そのような現実には目をそむけて、改善を怠った結果が今回の事故に
つながっているという事実はごまかせない。
 想定外だったのではなく、想定からはずしてきた結果なのである。
100年に一度、起こるか起こらないと言うような天災に備えていては、
なにも作れないと言ったのは斑目委員長の言であるが、それが他の
施設なら言い訳にもなろう。しかし、原発と言うものは、1000年に一度
であっても、事故を起こしてはならないものなのだ。
 収束作業は、工程表通りには行くまい。どんどん高濃度汚染水が溜まって
来ている。一日も早く処理しないと、多くの作業員の身に危険が迫ることに
なる。
 東電は、作業員の危険を、どこまで「想定」しているのだろうか。多くの
作業員が被ばくしても重大な事態が発覚するまでには、数年以上もかかる。
東電は、放射線被曝のこのような特徴を利用して、時間稼ぎをしている
節がある。
多くの作業員に異常が発生してきてから「想定外」だった、という言い訳を
聞きたくない。