阪大病院へ子供を連れていた。
初めて見る大病院だった。予約があったとはいえ、かなり待たされて
部屋に通された。
普通の診断室ではなかった。
大講堂のステージのような場所だった。
ステージの中の一段高い所に椅子が据えられており、周囲には
50人ほどの白衣を着た医師たちが取り巻いていた。
その中に、私は子供を抱いて先生の前に、おずおずと進み出た。
先生は、娘のおでこの辺りを手で触れた程度で、英語?でなんとか
かんとかと説明して周囲の医師たちを見まわした。
説明はあとで別の医師からするという。
時間的には1分とかからない診断だった。
大勢の医師を従えた異常な雰囲気に圧倒されていた。
診察と言うより、ステージ上での劇中劇のようだった。
あとで分かったことだが、この人はとても有名な西沢教授(小児科)だった。
西沢教授は、1955年に問題になった森永ミルク事件で、森永側に与した
立場をとったかどで問題となり、かなり後のことだが追放?になったような
記憶がある。
「いずみ」の病名は脳性マヒだった。今なら町の医者でも脳性マヒの診断は
できるが、当時はあまり知られていなかったのだった。
脳性マヒと聞かされても、その後にどうなっていくのか分からない。
ありとあらゆる文献を探し読み漁った。
娘の将来のためにと、当時出来たばかりの「のじぎく園」(三木市?)だったかにも
行って見学したことがある。今と違ってかなりの時間を要したものだった。
いずみは、1歳半の時、はしかに罹ってあっと言う間に他界した。
熱が高くなり、体温計が振りきれていたから43度以上になっていたのかも知れない。
あの時、私は我を失うと言うか、何が何だかわからない状態だった。
放心というのは、あのようなものなのだろうか。
門の中に、木になるほどの大きなマーガレットがあり、きれいな花が咲いていた。
今でも覚えているほど印象的だった。