中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(34)

子供が生まれて、部屋の狭さが気になりだした。
なんとかして広い所に移りたかった。
3カ月後に、町のど真ん中の一軒家、しかも門構えの広い家を
借りることが出来た。どういういきさつだったか、いまでは思い出せないが、
たぶん山内先生の口利きだったように思う。
商工会館の裏側に位置していて、生活環境としては抜群だった。
部屋数も多く、広々としていた。門の中には別棟の「離れ」があり、母子が住んでいた。
 
家が広く充分な部屋数があるので、借り間暮らしをしていた家内の母親に
同居を呼び掛けた。これが結果的にはまずかった。当時はまだまだヤミ米時代が
続いていた。家内の母親は、淡路島の米を、神戸の南京町に売るために、毎朝早く
船に乗ってコメを運んでいた。大変な重労働である。
 
仕事も順調だった。家内も近所の若い娘を雇い、洋服仕立をやっていた。
何しろ、大阪の伊藤茂平門下生の優等生でもあったので、腕は確かで
仕事は豊富にあった。
何もかも順調かと思う中で、気になることがあった。
娘の「いずみ」の様子が変だった。1歳になるころになっても首の据わりが悪い。
はいはいしたり、歩いたりという気配すらない。とても可愛い笑顔のいい子だったが、
成長に問題があるようだった。初めての子供でもあり、未熟児だったので、そんな
ものかと思いもしたが、気になって医師に相談した。
町の医師も分からないようだった。しかし普通ではないので阪大に行くようにと
勧められた。