西区九条での間借り生活は半年ほどだった。間借りしていた家のⅠ階は喫茶店で
プロレスの日や大相撲のある日は黒山の人だかりだった。
私は、東京にいた時(昭和29年)にすでに力道山のプロレス中継を観ていたが、大阪では
1年遅れてテレビ放送が始まっていたが未だ普及しておらず、喫茶店などでテレビを楽しむ
のが普通だった。
決めた。新築のアパートだったのできれいだったが、当時のこととて、やはりトイレは共通
だった。台所とは言えないまでも、流しやガス台は部屋の中にあり、小さな押し入れもついて
いて、新居と言えた。
家内は、大阪の伊藤衣服研究所で学び、終えてからは研究生として研究所の中で、
仕事を続け、そのご、御堂筋の近くにある洋装店に勤めていた。今でいうアメリカ村の
ある辺りである。結婚してからもそこで働いていたが、石橋に引っ越してきてからは、
近くの洋装店から頼まれたものを縫っていた。
私の収入もそこそこあり、家内も収入を得ていたので、順風満帆の日々におもえたが、
ある日から突然身体がだるく、熱が出て働けなくなった。
石橋に移って半年ぐらい経ったことだと思う。
僅かに歩くだけでも汗がびっしょりと言う有様だった。会社には行けない。石橋病院で
点滴をうってもらうだけと言う日々だった。
あっと言う間に金がなくなった。食べるものがなくなった。
なにもない。3日ほどほとんど食べない日が続いた。二人ともひもじくて辛い。
家内が「あそこの魚屋さんに、新聞紙の4つ切り買います」って書いてあったと言う。
早速古新聞を取り出してきて、私がそれを4つ切りにした。当時は、魚屋さんでは新聞紙
に包んで売っていたからだ。
家内が、それを持って魚屋へ行き、受け取った金で、麦とスジ肉を買ってきた。
それをこつこつと炊く。旨かった、美味だった。こんなうまいもの食ったことがないと
思えるほど感動したものだ。
食べるものがなくなると言うことは、恐ろしいことだ。それだけにありついた時の
喜びも大きい。