中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「団塊の世代」を考えてみる

 ようやく美術展のめどがついて、しんどいが気は楽になった。
 書き込みに「団塊の世代について書いてください」とあったので、書いてみよう。
 
 団塊の世代については第1次ベビーブームの1947年から 1949年までの3年間に
 生まれた人たちをさすとされている。私は3年間に限るというのには異論がある。
 5年間だってよいではないかと思うのだ。
 とにかく3年間で生まれた人の数が806万人もいたというからすごいものだ。
 戦争が終わり、帰国した男性たちが大いに夜な夜な頑張った結果だろうと思う。
 最近の若者にはないたくましさがあった証拠でもある。
 人間の本能を高く維持できていたからだろうと思う。
 人間も含めて動物は、自分を複写することがDNAによって求められている。
 DNAの働きは、自分を複写することと、DNAの設計図に従って、必要なタンパク質
 を作ることの二つである。
 戦後、戦場から帰還した男性たちが(いや女性も)この摂理に従って、大いに励んだ
 結果として、団塊の世代と呼ばれる人たちがこの世に生を与えられた。
 
 ここから団塊の世代について触れていくが、ちなみに私は1934年生まれである。
 いわゆる昭和一桁生まれなのだ。昭和一桁というと、もう過去の人のように思われて
 いるかもしれないが、戦後日本を支えた貴重な年代生まれだと思っている。
 団塊の世代と僅か13年から15年間の違いであるのだが、生まれ育った環境が
 大きく異なった結果として、ものの考え方まで変わったのではないだろか。
 GHQによって飼いならされ、戦後民主主義というものに毒されて育った世代だとも
 思う。アメリカは、日本の占領政策GHQによって大成功を収めた。アメリカは、その
 成功をイラクにも適用しようとして大失敗したものだ。
 日本とイラクのどこが違うのか。世界中を見渡しても、日本ほど従順な国民は少ない
 と思う。
 団塊の世代では、中学生のころには、洗濯機、冷蔵庫などがあり、自動車の普及も
 始まっていた。巨大マンション群も建設され、「夢の住環境」が生まれた。
 今から考えるとまだまだ不自由な時代ではあったが、わつぃの時代から考えると、
 とても恵まれた時代だった。
 戦後民主主義の中で、親たちは子供の教育について迷いがあり、自分たちが不自由
 した分、子供たちには甘かった。3年間で800万人も生まれれば、競争を強いられ
 競争の中から強いリーダーシップを持ったものが出てくるはずなのに、そのような
 リーダーがあまり生まれなかった。
 極端な話かもしれないが、電器産業の日立、東芝ソニーなどが団塊世代を社長に
 据えて失敗?しているのに、自動車産業は軒並みに団塊の世代すっ飛ばしている。
 偶然かもしれないし、団塊の世代が弱いと思った結果かもしれない。
 私が感じている団塊の世代の人たちへの印象は、「切り開いていく強さがない」と
 いうものだ。もちろん、凄い人たちも多いから、一概には言えないのは言うまでもない。
 私はもっとも心配している世代は、団塊の世代が作った次の世代の人たちだ。
 俗に第2次ベビーブームと言われる人たちだ。
 異次元の人たちのような印象さえ受ける。
 逆に、昭和一桁人間などは、異次元の人間のようにみられているかもしれない。
 いまいち、うまく書けなかったと思う。体調のせいかもね。