中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

ベトナムが面白いし元気だよ

 ベトナムというと「ベトナム戦争」のことが真っ先に浮かんでくる私は
やはり高齢者ということか。
 かなり以前に、司馬遼太郎さんが書いていた記事がある。たしか、
ベトナム人は、アジアでは日本人ともっとも近い存在だと。
アメリカ軍が使っている近代兵器を奪い取って、それをすぐに使える
民族は、日本人とベトナム人ではないかというようなものだった。
料理についても同じ感覚があるようにも思えるといったことも書かれていた
ように記憶する。アジアで工業国になれるのもベトナムだろうとも。
いま、ベトナムが最も注目される国の一つになっている。工業国化が
加速しているからだ。
 タイランドなどの周辺国に比べて断トツの成長ぶりである。
 私は、毎日ベトナムコーヒーを飲んでいる。ベトナムがコーヒー豆の
輸出量世界第2位ということも知らない人の方が多いようだ。
ホーチーミン市というのは、以前はサイゴンと言われていた。ミュージカル
ミス・サイゴン」のサイゴンである。欧米文化が濃厚な都市として大きく
栄えた都市でもある。
最近の映像を見ると、町中がバイクにあふれていて、活気はあるがのんびり
出来そうな感じがしないが、私の友人によると「少し郊外に出れば静かでいいところ」
という。
ベトナム人と言えば、豪州・パースでたくさん出会ってきた。あの戦争のころに
難民として移住してきた人たちだ。
あのころ、難民は四方の国に逃げ出した。経済大国だった日本にも多くの難民が
きた。その人たちの現在の生活環境などをほとんど知らないが、日本に逃げてきた
難民は、辛い思いをしたのではないかと思う。
豪州に逃げた難民たちは、郊外に大きな農地を与えられ数々の野菜や果物を
栽培して豪州人に喜ばれている。「昔は10種類もなかった野菜が、今では何十種類も
手に入るようになったのは彼らのお蔭」だと喜んでいた。
彼らは裕福になり 、私が移住した1992年のころには、カジノにもほとんど来ていな
かったが、私が帰国した2005年には、ベトナム人がたくさんカジノを楽しむようになって
いた。農地だった郊外は、今や都市の中に埋没している。彼らは住宅地をして土地を売り
大金を懐にして、もっと遠くで農業を続けている。
(ちなみに、シドニーオリンピックが開催された2000年までは、パースのカジノが
南半球で最大の規模だったのだ)
どの国に難民として逃げたかによって、運命が大きく分れたように思う。
さて・・・・そのベトナムだが、国民の平均年齢は28・2歳である。
この数字をどう思いますか?
次回は、アジアの国別の平均年齢を書いてみよう。