中原武志のブログ

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旅の思い出あれこれ(19)ローマ

JA・NEWS紙  2012年9月号 「旅の思い出あれこれ」(19) 
六甲庵独り言 連載 第32回
 
旅の思い出あれこれ(その19
 ローマ(イタリア)
 
「全ての道はローマに通ず」
この言葉の解説を見ると、真理というものは、どのような経路を通ったところで、必ず行き着くものである、⑵真理に行き着くには、決して経路は一つでなく、試行錯誤しながらもいろいろな方法があるものである―と書かれている。
もともとは、古代ローマ帝国の政策において道路政策が非常に重要視され、ローマを中心とした道路網発達具合を誇った言葉であるが、後に、西洋文明は全てローマ帝国に集約し、そこから派生したことも意味するようになり、現在の意味へと転化した、ともいわれる。
故事・ことわざ・四字熟語辞典では、ローマ帝国の全盛時には、世界各地からの道がローマに通じていたということ、物事が中心に向かって集中すること、手段は違っても目指す目標は同じであること、あらゆる物事は一つの真理に発していること―と書かれている。
古代ローマの定義は大変難しいが、ここでは紀元前8世紀ごろイタリア半島に誕生した都市国家がやがて地中海沿岸の広大な領域を統治する国家へと発展したもので、その後現在のルーマニアをはじめとするヨーロッパ、中近東、北アフリカまで勢力を拡大している。
しかし、ここでは難しいことは詮索しないで、古代から続くローマ帝国という、とてつもない力を持った国が存在していたことだけを覚えておきたい。ローマ帝国がいつ終焉(しゅうえん)したかということでは、さまざまな考え方があるようなので、ここでは書かない。
 ローマ帝国について詳しく知りたい人は、塩野七生著「ローマ人の物語」(全15巻、新潮社)を精読されることをお勧めしたい。
 とにかく、ローマ帝国が世界中の歴史や文化に多大な影響を与え、それが今もなお続いていることだけは確かなことである。世界中の歴史関連本を読む上でいつも思うことなのだが、「その当時の日本はどうだったのだろうか」と考えてしまう。ローマ帝国ができたころの日本は、まだ確かな姿を持っていなかったというべきだろうか。少なくとも歴史に残るようなかけらもない。
 
映画「ローマの休日
 日本から、初めてローマを訪れた人のほとんどは、グレゴリー・ペックオードリー・ヘップバーン出演の「ローマの休日」を観(み)てローマに憧れ、映画に出てくる場面を辿(たど)りながらローマの街を散策したに違いない。実は、私もそうだった。もう40年ほども前のことだ。感激したり、がっかりしたりしながら街を歩いた。映画のシーンの影響もあるが、期待したスペイン広場の階段が、何のことはない場所だったのが一番の期待外れだった。
 
 観光を目的とする場合、人によってものの見方が違ってくるのは仕方がない。私が初めてコロッセオの中に立ち入った時に感じた感覚は今も忘れられない。コロッセオに行った人たちは、誰もが知っていることなのだが、あそこは単なる「劇場」ではない。猛獣と人間を戦わせて楽しんでいたという、すさまじい場所である。コロッセオの観客席から舞台となる場所を見下ろした時、一人の人間が猛獣に食いちぎられる光景が脳裡(のうり)に飛び込んできた。人間というものが根底に持っている残酷さ、猛獣と戦わされる底辺の人たちへの差別観などを感じてぞっとしたものだ。
コロッセオから学び取ることがたくさんある。人間はもっと、賢くならねばならないこと、人を差別してはいけないことだと思う。それにしても古代ローマであれだけの建築ができるという能力はすごい。何しろ5万人が収容できるという巨大建築である。
 
カラカラ浴場
なんだ「浴場」か、などと思ってはいけない。巨大浴場のほか、図書館、アスレチック施設なども整った、今で言う総合レジャーランドなのだ。大理石がふんだんに使われ、モザイク模様の跡も残っている。あの時代にレジャーランドを考案し、造った頭脳というものを考えると、人類の進化というものは、場所によって大きな違いがあったのだと気がつく。そしてまた、その進化を受け継がずに退化していく民族もいるから不思議だ。エジプトやペルーなど、古代に素晴らしい文化を誇った国々の、現在とのギャップをみると、同じ民族の中での文化の継承と言うものはなかなか難しいものかもしれない。
 
トラヤヌス・マーケット
 ローマ観光をしていると、とにかくその凄(すご)さに圧倒されるばかりだが、古代ローマ時代に、総合マーケットが造られていたというから驚きだ。その発想と1500店舗が入っていたという、規模にも驚く。2世紀のころの日本は「倭国」と呼ばれ、その中に卑弥呼がいた邪馬台国があったのか卑弥呼とは誰なのか、「邪馬台国」が奈良地方にあったのか九州地方だったのかも定かではない。  
 マーケットの巨大建築も残っているが、石の文化と木の文化との違いだけではなく、それを超えた人間力の違いを見せつけられているように思えた。
 
パンテノン
 巨大建築と言えば「パンテン」もそうだ。世界最大の石造り建築でもある。パンテンは教会でもあり、墓場でもあると私は思っている。フランスには「パンテオン」が、カルチェラタンに建っていて、やはり教会でもあり、著名人の霊廟(れいびょう)となっている。これは、パンテノンを模して造られたものだと思っている。微妙な発音の違いはイタリア語とフランス語の違いからくるのか、私の勘違いなのだろうか。
 
 肩越しにコインを投げ入れれば、再び戻ってこられるというエピソードがあるために、訪れた人たちは、みんなコインを投げ入れる。私はローマには6回行ったと記憶しているが、妻とも3度は訪れた。最後に行った時に「もう来なくてよいと思うから、コインを投げるのはやめておこう」と言ったが、その通りになってしまった。戻ってきたいという執念みたいなものがなくなれば、どうでもよくなってしまうものらしい。
 トレヴィの泉は、必ず訪れる場所だったが、2年越しの修理の時などにぶつかってしまって見られない時もあった。投げ込まれたコインは、定期的に回収されているらしいが、蓄積して修理などに充てられるのだろうか。
 
大理石彫刻
ローマには、大理石の彫刻が多い。トレヴィの泉だけではなく、ほかにもたくさんある噴水のほとりには巨大な大理石彫刻が施されている。大理石というのは柔らかいので彫りやすいということもあるが、現在のような二酸化炭素の多い時代ともなれば、大理石が腐食して、彫刻の微妙な部分が欠損してくることもしばしばだ。世界に誇る文化遺産だけに、イタリア政府も保存に心を砕いているのだろうが、経済危機を迎えている今、どれだけの予算をローマの遺跡につぎ込むことができるのだろうかと、気をもんでいる。
 
気さくなイタリア人
イタリア人というのは、どこに行っても気さくな人が多い。私の少ない経験で言えることではないが、ミラノなど北部の人たちより南部の人たちの方が気さくな人が多いように思える。ローマの靴店、1時間も会話に応じてくれた店主がいた。私が辞書を見ながら質問し、それが通じたかどうかを彼に辞書を見せながら確認するというのんびりした時間だった。イタリア語はローマ字読みで通じることが多いので、英語やフランス語のように発音での悩みは少ない。とはいっても、辞書片手の日本人相手によく付き合ってくれたものだと思う。イタリアならではの楽しいひとときだった。
しかし女性たちにとっては、油断ならないのがイタリア人だ。女なら誰でもよいと公言してはばからないほど「ナンパ」が好きな人たちだ。ナンパされて、喜んでいると罠(わな)にはまってしまうことになる。もちろん最近の、ヤマトナデシコは、相手の心理を逆手にとってしまう凄腕も多くなっているらしい。今の日本を象徴するように、男性より女性の方がたくましく、頼りになる。オリンピックを観ていてもそれを感じてしまう。近い将来、古代日本のように女性上位に戻るような気がしないわけではない。