中原武志のブログ

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旅の思い出あれこれ(14)ロンドン

JAコラム JA2012年4月号 「旅の思い出あれこれ」(14) 
 
連載 第27回
六甲庵独り言
 
旅の思い出あれこれ(その14
 ロンドン
 
 霧の街ロンドン
 ロンドンには何度も訪れた。しかし、ロンドンだけを目的とした旅は一度もなかった。必ずパリに行くついでに足を延ばすという感じだった。1988年に英国航空が就航40周年記念ということで50カップルほどの招待旅行を公募したことがあった。
くじ運に弱い私がなんと抽選でその幸運を引き当てたのだが、折悪(あ)しくロンドンから戻って1カ月後というスケジュールだったためにお断りしてしまった。今考えると招待旅行だったのに惜しいことをしたと思っている。
 もし、これがパリ旅行招待だったら喜んで行っていたように思う。それには訳がある。ロンドンに行く主な目的はウエスト・エンドで観(み)るミュージカルだけだったからであり、つい先日観たばかりのミュージカルを再び観に行こうとは思わなかった。ことほどさようにロンドンという大都市は、どうしてか私に感動を与えてくれないのだ。
 夏目漱石は、ロンドンに留学して鬱(うつ)症状に悩んだという。昔のロンドンは「霧のロンドン」と呼ばれていつもどんよりしていたから、鬱にもなろうというものだ。しかし「霧のロンドン」とは、誰がつけたのか知らないがとてもうまい表現だけれど、それは全くの嘘(うそ)である。各家が暖房のために焚(た)く石炭から出る煤煙(ばいえん)が街を灰色に覆っていたというにすぎない。霧の街などという優雅なものではなかったのだ。当時、家々の煙突掃除をするのは幼い子供だった。大人では煙突に入れないからである。
ロンドンに睾丸癌(こうがんがん)が多発していることに注目した山極(やまぎわ)勝三郎博士が石炭由来の癌ではないかと研究を重ね、ウサギの耳にコールタールを塗って癌を発症させ、1917年に発表した。環境物質が癌発生の原因となり得ることを証明した世界で最初の研究となった。ロンドンの子供たちに発症した睾丸などの泌尿器癌の原因は、煙突内の煤(すす)が原因だったことが証明されるきっかけともなった。
夏目漱石は1900年に渡英し1903年に帰国しているが、漱石の留学中も小さな子供たちがたくさん犠牲になっていたことは間違いない。
 私は、ロンドンというと真っ先にこのようなことを考えてしまうのが、ロンドンをいまいち好きになれない要因かもしれない。今もなおそれらの煙突が残され、一つの風物詩となっている。
 
ミュージカル
 ロンドンに行く目的は、何をおいてもミュージカルを観ることである。ミュージカルというとニューヨークのブロードウエイが本場ではないかと言う人が多い。ミュージカルはロンドンの「ウエスト・エンド」とニューヨークの「ブロードウエイ」が競作していると理解するのが正しい。
 世界中の主要なミュージカルは、このどちらかから発表されている。ウエスト・エンド発の代表的なものでは「キャッツ」「オペラ座の怪人」「ミス・サイゴン」があり、ブロードウエイ発の代表的なものには「42ndストリート」「シカゴ」「クレイジー・フォー・ユー」などがある。割り切って言えばストーリー重視のウエスト・エンド発とダンス重視のブロードウエイ発に分けられるかもしれない。「雨に唄(うた)えば」「ウエスト・サイド・ストーリー」「屋根の上のバイオリン弾き」「マイ・フェア・レディ」「コーラスライン」などは、どちらで作られたものかご想像がつくかと思う。
 ミュージカルは、巨大な資金をつぎ込みながらも数週間で消えるものもあり、10年以上にわたって興行されるものもある。人気のあるものはチケットを取るにも苦労する。ロンドンのホテルのフロントの若い女性にチケットの探し方を尋ねたことがある。その時の彼女の英語が見事で「英語の本場のロンドンに来ている」と感じたと言えば大げさだろうか。彼女のおかげで、事前予約していなかったのに、いくつものチケットを手に入れることができたものだ。
 
 ロンドン観光名所
 ロンドンは観光名所には事欠かない。ウエストミンスター寺院、ロンドン橋、ロンドン塔、バッキンガム宮殿、ビッグベン、ハイドパーク、ケンジントン宮殿セントポール大寺院など盛りだくさんだ。どれもこれもロンドンという雰囲気を持っている。
 私が強く印象に残っているのはリージェンシー大通りである。独特のカーブを持ったこの通りは映画などでもよく見かけるが、有名ブランド店が立ち並ぶところでもある。ブランド店には興味もないが、なぜかこの通りを真っ赤な2階建てバスが連なって走る様は異様だったからだろうか。誰もが行くピカデリーサーカス広場から歩いて行ける。
 2階建てバスは、排ガス規制などで2005年に廃止されたらしいが、今年のオリンピック開催に合わせて新型2階建てバスが復活されるという。しかし、私はあのバスが嫌いだ。無様だし、ロンドンの良さを消し去っているような気がしてならない。パリっ子なら絶対に反対するだろうと思う。
 
 長い時間並んでやっと入館することができたので、ここは何度も訪れられないだろうと思った。この博物館の印象を一言で表現すれば「世界各国からの略奪品博物館」という感じである。エジプトや中国など好き勝手に略奪してきた各国の国宝級のものが展示されている。凄(すご)いといえば凄い。他では絶対に見られない貴重なものだ。必見の価値を認めながらも、後味が悪いのは私だけだろうか。ニューヨークのメトロポリタン美術館では、有り余る金で世界中から買い集めた印象が強かった。これでもかというほどの美術品が力ずくで収集された感じだった。大英博物館の場合は、弱いものから略奪してきたという印象がある。でも、凄い内容であることには異議はない。それらが略奪されなくて、本来あるべき国に残されていたら、このような形で現存したかどうかは分からないからだ。
 略奪と言うと聞こえは悪いが、園芸好きのイギリス人は世界各国から草花を集めてきたのも事実である。今なら許されない行為かもしれない。
 
 地下鉄、バスと住宅街
 私は、どの街に行っても、旅行者としてではなく、その街に住んでいて、休日にぶらりと出かけている、という気持ちで街を歩く。だから名所観光にはあまり興味がない。
 ある時は地下鉄に乗ってあちこちに行く。ロンドンの地下鉄はチューブと呼ばれている。トンネルの直径が狭く、それゆえに車両も小さい。いろんな路線に乗ってみたが、路線によってこれほど乗客の質が違うのかと思えるほど落差が大きかった。思わず車両を降りてしまった路線もあった。
 バスは2階建てだけではなく普通のバスも走っている。全く知らない行き先のバスに乗って街を観ながら走る。終点で降りて、近くの住宅街を散策する。都市の中心部より住宅街の方が住んでいるという感覚を味わえて楽しめる。住んでいる街を散歩しているかのように歩く。私が見たロンドン郊外の住宅街は高級なものではなかったが、平均的な英国人の日常を垣間見た感じがした。
 
 食べ物
 英国の食べ物はまずいと誰もが言う。その言葉に嘘はない。食べ物がまずいということは、文化的にも色合いが少ないということに通じるのだろうか。
 しかし、朝食に関しては豪華といえるのではないだろうか。朝からこんなに食べるのかと思うほどに量があり、肉類も食べる。コンチネンタル風の朝食とは趣が違う。朝からたくさん食べて、しっかり働くというのが英国スタイルといえるのかもしれない。
 
 ハロッズ百貨店でも買い物
ダイアナ元王妃の恋人の親が経営していることでも有名になったハロッズ百貨店にも行ったことがある。さすがといえるほどの規模だった。家内がその時に買ったパンティストッキングは、ずいぶん長い間重宝したそうだ。今でも使えるのよと言う。他で買ったものはすぐダメになるのに、さすがに良いものを売っていたんだよねと感心している。気のせいではなく、本当に優れものだという。
 
世界の金融街「シティー
ロンドンには「シティー」と言うだけで通用する場所がある。リージェンシー大通りの近くの世界の金融街と呼ばれる一帯だ。現在は、ニューヨークなどにそのお株を奪われている感じだが、ロンドンっ子にとっては、今も「世界のシティー」と思いたいことだろう。
日本の場合も日露戦争の時に、戦うための金が枯渇し、「シティー」にあったロスチャイルド家に救援を求めた。その頃のロスチャイルドは、戦争当事者の両国に金を貸し、勝った方からいろんな利権をもらうことで儲(もう)けていたふしがある。結果としてはロスチャイルドの紹介という形で、アメリカのロスチャイルド系から支援を受けて戦艦などを調達し、ロシアに勝った。またロシアのバルチック艦隊が遠路はるばる日本まで回航するに際して、英国がバルチック艦隊への石炭補給などの邪魔をして日本を援助したという経緯もある。
その後の、第2次世界大戦とは全く違った英国との親密な関係を考えると「外交」とは微妙で難しいものだ。