1992年から14年間豪州・パースに住んでいた。
なぜパースを選んだのか。いろんな理由があった。
「世界一住みたい街」と兼高かおるさんが言ったのも大きな理由だった。
なにしろ永年に亘って世界中を駆け巡っていた彼女の発言だから、
期待は大きい。全くその通りにすばらしい町だった。
しかし、本当は私には大きな理由があった。これまで書かなかったのは、
阪神淡路大震災の被災者に申し訳なく思っていたからでもある。
1946年だったか淡路島にいた時、南海地震の際に家が大きく揺さ
ぶられ、今にも倒れそうになったのを庭先から脅えながらみていた。
翌日街中の家が倒れて知り合いの人も亡くなった。その日から地震アレル
ギーがある。
神戸の須磨区に、私が経営していた高校の校舎があった。大きな
建物ではなく、150名ほどが入れる校舎だった。
ある時、校舎前の歩道の工事が行われていた。どんな工事だったか
定かには覚えていないが、2メートルほど掘っていた。僅か2メートル
のところは完全に砂地だった。昔はここも砂浜だったのかと思った。
現在なら、直線で海まで1・5キロはある地点である。
ことで知られていたので、地震を怖れる根拠はないのに、なぜかそう思った。
外国に移住する時、何も考えずにカナダのバンクーバーを選んでしまった。
しかし、あまりの寒さに気管の弱い私はあっさりと帰国して、次の移住先を
原発は豪州に一つもない。水害の心配もパースにはない。そう・・・
何故か若いことらか水害が怖かった。自分で建てた家が大きな池の堤の
下に位置していたので、堤が決壊しないか、大雨のたびに心配して
水位をチェックしていたものだった。
天災に関して敏感なところがある。多分台風被害を受けてからだと思う。
経営に関しては、鈍感、大胆なのだが、危険には敏感という矛盾する
ものを持っているそのお陰で結果オーライの人生であはあるが、最後に
原発などで逃げるような羽目にはなりたくない。
2005年に帰国した時に、長年の親友から「あんなすばらしい所に
住んでいて、なんで日本なんかに戻って来たんや。日本はあかんで。
危ないで」と言われたものだ。ほんまに・・そうなってしもうた。