日々明らかになってくる原発事故の内容を見ていると、関係者・
専門家たちの「診断」の甘さが見えてくる。
的確な診断をしていれば、最悪の事態は避けられたはずだった。
救急車で病院に担ぎ込まれた患者を見る場合にも、症状によって
医師の見立てはいくつにも分かられる場合がある。その時の対応に
誤りがあれば取り返しうの付かないことになる。
ある」と予測し、重視していれば以後の対応が違ったものになって
いただろう。「私人による配管へのダメージはない」と過信してとすれば
対応があくれ、症状がどんどん悪くなり、追っかけ対応となって冷静さを
失ってしまうことになる。
4号機の爆発は、3号機から水素が4号機に配管を伝って流れた結果
の爆発だったと発表した。そんなことも事前にチェックできなかったのかと
思ってしまう。原子の設計なんて、意外とずさんに出来ているようだ。
一人の身体だけではなく、国を滅ぼしかねない原子炉のばあい、あらゆる
ことを想定して設計がなされなければならないのではないか。
配管も、あらゆることに対応可能な工夫が要るのではないか。
今回、運転停止した浜岡原発でも配管のヒビが原因で海水が400トン
混入したという。
配管は本体との接合部分に破損が起こりやすい。特に地震では破損が
考えられる。アメリカでは本体と管の間にショックアブソーバーを付けて
地震などの揺れに対応させている。
3号機と4号機との間に配管での繋がりがあるとすれば、それらは
いつでも流れを切断したり、つないだりできるような工夫を施しておくのが
普通ではないだろうか。どうも、そんな知恵もなかったようであり、そんな
事故を予測できていなかったようでもある。
危機に備えると言うことは、様々な知恵が要る。原子炉だけにどんなに
詳しい知識を持っていても、それらの知恵は出てこない。以前にアメリカの
NASAの例に書いたことと同じだが、専門家以外の人を充てることで、
これらの知恵が導入できる。
欧米ではやっているし、万一に備えてヨウ素も家庭に置くようにしていた。
安全神話を、専門家自身が信じてしまったのか、不完全なものを少しでも
確実にするために、不可能を可能にするための努力が「原発本体及び
周辺設計」にはないようだ。だから、どんどん事故が複雑になってくるのだ。