「鰯の頭も信心から」(いわしのあたまもしんじんから)
何ごともいったん信じてしまえば有り難く思えるという例えです。
巨木とか巨岩とかが信心の対象になりますが、鰯の頭だって信じてしまえば有り難く思えるのでしょうか。
信心というのは、多くの人々にとっての心の拠り所です。
何を信じるかは、人それぞれでしょう。
私は新人とは言えませんが、育ての母がずっと見守ってくれているように思っています。
亡くなる前に、妹に「武志のことが気がかり」と言ったそうです。
支える人が自分だけということを知っていたからでしょうね。
その言葉を叔母から聴いたときに、嬉しく、ツラかった。
亡くなっても見守ってくれているように感じています。