昔から「いも、たこ、なんきん」という言葉があって、女性の好物の
代表的なもののように言われていた。
私も、芋、蛸、南瓜は好きだけれど、もうサツマイモは見たくもないと
思った時期もあった。
今の若い人たちは、サツマイモは、スイートポテトという言葉通りに
甘いものだと思っているのだろうな。
しかし、戦争中のサツマイモは,現在のように甘いものではなかった。
それでも、砂糖が超貴重品であった時代だから、サツマイモはそれなりに
甘さを感じるものとして「おやつ」として食べていた。
その頃のサツマイモは、たぶん「農林1号」と呼ばれていたようにおもう。
戦争が激化していく中で、食糧難が予想されていたのだろうから、収穫量
が多く、でんぷん質の豊富な種が広く全国的に広がっていたのだろう。
農林1号は芋の形も大きく、ベージュ色だった。
最近、スーパーなどで売られているサツマイモは、家庭で焼き芋が楽しめる
小ぶりで甘いものが人気があるようだ。
サツマイモは焼酎用に多く作られているが、スーパーで売られている
ものとは色も形も違うようだ。
近年は、低学年の生徒などに芋堀を経験させたりしているが、あれは
インチキだ。
なぜならば、サツマ芋堀の要点は蔓の始末にある。
大量に絡まっている蔓をどのように刈り取っていくのか・・・この作業の
大変さを実感させないでは教育にはならない。
蔓を刈り取った後の芋ほりなんてゲームみたいなもので、教育の一環
として考えるのであれば、せめて・・つるの刈り取り作業を見せるべきなのだ。
戦後にサツマイモの蔓を乾燥させて粉にしてパンの原材料として使われて
いた時期があった。
まずくて食べられたものではなかった。そんな時代があったということだけでも
覚えておいていただきたい。