中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

わたしのラグビー好きになったころ

 私は25歳までラグビーを知らないでいた。
 1960年ごろ、私の経理の師匠(先生ではなく師匠と言うべき人)
 の息子が京都市役所のラグビー部で活躍していてラグビー
 手ほどきを受けた。
 経理と言うものは難しい。簿記を覚えればできるというものではない。
 だから師匠だと思っている。
 当時はTVで試合を観るなんでできなかったから、ラジオ放送できいて
 いた。
 関西がラグビーを引っ張る形でラグビーの普及が進んでいった。
 1958年の (第10回大会) に近鉄が前年度優勝として参加すると実に
 5チームが関西からの出場であった。そのうちベスト4はすべて関西の
 チームで近鉄京都市役所、大鉄、大阪府警だった。
 その後ラグビー全盛時打を迎えることができたのに、どうして低迷期が
 合ったのか、分らないが、今後はサッカー以上の人気スポーるにしてほしい。