中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日中関係の今後を考える(2)

 (1)で書いてきたように、中国最後の王朝だった「清」が倒れて国民党の
政権となったが、同じころに毛沢東率いる共産党も力をつけていた。
 日本軍が中国軍と戦った「日中戦争」は国民軍だけではなく赤軍とも戦わ
ねばならなかった。 国民軍はまだ昔からの組織が残っていて、日本の戦国
時代のような群雄割拠的な軍隊だったが赤軍は統一された軍隊だっただけに、
日本軍はおおいに手を焼いたのだった。
 日本軍は国民党軍を奥地の南京にまで追いつめたのだが、あまりにも長す
ぎる補給路の故に広い中国ではとても勝利できないうちに19456年の敗戦に
なり、中国国民党政権は「戦勝国」となったのだった。
 ここからが・・・大切な個所である。
 日本は中国に多大な損害を与えている。他のどの国よりも多くの人命と財産
に莫大な損失を与えている。 中国から敗戦国の日本に「損後賠償金」を請求
されたら日本と言う国は二度と立ち上がれなかったであろう・・と思う。
 韓国、フッリピン、インドネシアなどアジア各国に対して日本は巨額の賠償金を
支払ってきた。日本国民の生活を犠牲してでも賠償金を払ってきた。
 中国の国民党主席であった蒋介石が「日本には賠償金を求めないで権利を
放棄する」と言ってくれたのだった。 もし蒋介石のこの決断ががなければ・・
今の日本はないと言っても過言ではない。 
 その後、国民党政府は共産党軍との戦いに敗れて台湾に逃れることになるが、
共産党政権の毛沢東主席が、同じく「日本に賠償金を求めない」と言ってくれたの
だった。 蒋介石毛沢東の懐の深さに当時の日本人は「さすがに中国は偉大だ」
と感謝したのだった。
 共産党政権になり、中国は国民党軍との戦いで国内は疲弊しており、日本政府と
しては台湾に逃れた国民党政権には恩義もあり、中国本土の共産党政権とは国交
が絶たれた。 その中国との国交をアメリカの頭ごなしに復活させたのが田中角栄
首相だった。 結局、田中角栄氏はアメリカの怒りに触れ、ロッキード問題で仕掛けの
罠にはまってしまうことになる。 
 だが、2000年ほどの親交のあった中国をいち早く認めて国交回復に努力した角栄
さんには、先をみる政治家としての資質を感じる。
 共産党政権になってから、中国の国民服とも言われたお揃いの服を着た若者たちが
日本に大挙押し寄せて、日本の大都会のあちこちで、メジャーを持ち、メモ帳を持って
日本の商品を測り、メモに書き写していた姿を知っている人は・・現在60歳以上の人
たちだけだろうか・・。 とにかく中国は「日本に学べ」と必死だったころの話である。
 韓国は「人に追いつけ追い越せ」が合言葉だったが、儒教の教えに縛られて頑なな
人が多いが、中国人は、良いも悪いも「何でもあり」の人が多いように、私は思っている。
 いまの日本では中国に対する警戒感が強いが、一路一帯政策など、中国の成長は
眼を見張るものがある。 アメリカを凌ぐ日も近いのではないだろうか。 それだけに
恐ろしい国でもある。 民主化したときに「中華民国」を名乗ったが、中華とは世界の
中心だということだろう。 その意識は共産党政権にも引き継がれているようにも思う。
  アメリカはあと10年で白人よりも有色人種の方が多くなる国だ。それまでに、大い
なる混乱期が来るだろう。 韓国は、時代ドラマの中に「おお~王様!!~~」と官僚
たちがひれ伏すシーンを、懲りることなく、いつまでも制作している。
こんなシーンを韓国人が許している間は本当の意味での近代化はできないだろう。 
韓国人の心の近代化が遅れているように思えてならない。
 私は、韓国人、北朝鮮人、中国人にも友人、知人が多い。 だから、誰もが平等で
明るい社会になることを心から願っている。
 今、国会で質疑が繰り返されている入管法改正法案は、そういう意味でも周辺国
との関係を見直す機会になるかもしれない。 入管法問題については、次の機会に
書こうと思っている。