中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日中関係の今後を考える(1)

 先ほど「日韓問題」を書きましたが、今度は日中問題を考えてみたい。
日本人の多くは、日韓関係ほど中日関係については知らないように思える。
それは私だって同じなのだ。 私より3年先輩までの人たちで旧制中学校で
学んだ方は、漢文を習った人が多い。 現在の英語以上に漢文習得に力を
いれていた時代だったからだ。
 日本と中国では2000年以上の交流がある。とても古い付き合いであると
ともに、多くを中国から学んできた。 ご存じのように中国の文化は古くから
華やかだった。 紙も印刷技術も中国は早かった。世界ではエジプトなどと
ともに先進国だった。 仏教も中国を通して日本に入ってきた。真宗真言宗
法華経などなど挙げればきりがないほど多くの仏教が中国を通じて日本に
入ってきた。 製鉄など韓国から伝わってきた工業技術など以上に中国から
の影響を日本は受けてきている。
 しかし、中国と言う国は柔軟なところもあるようだ。 日本が明治維新を成功
させて西洋から多くの制度などを採り入れ近代化へと進んでいる頃、中国は
清の時代だったが長らく続いた制度に疲弊が現われ、民の不満が高まって
いた。 中国国内では民主化運動が始まっていた。 その頃に日清戦争があり、
戦争に勝った日本は遼東半島を手に入れるが、この遼東半島が後の日露戦争
の場所にもなる。
 その頃、日本でもよく知られる孫文 (神戸・垂水の舞子には、孫文記念館が
残されている) が、日本やハワイなどを拠点として民主化運動の同士を集めて
いた。 1905年には東京で「中国同盟会」を結成して、それまでバラバラたっだ
民主化運動を一つにまとめ上げている。 BC(紀元前)だけでも2100年もある
中国だが日本の明治維新に学べとばかりの運動だった。
 清王朝を1912年に倒して国民党を結成し孫文が党首となったが彼は直ぐに
党首の座を明け渡している。 清の光緒帝の時代に民衆化運動を始めて、宣統
帝(溥儀)を最後の皇帝としたのだった。 中国の長が~~い歴史の中で画期的
な革命だったと言える。  (2に続く)