外国へ移住して、その国とどうかかわって暮らすかと言うことは、
その人の人生観によって違うだろう。
とにかくゆっくり休みたい、遊びたいと思う人の方が多いようにも思えるが、
私は、その国に来させてもら得たことに感謝して、何らか役立つことをしたい
と思ったので「日本語教室」を始めたのだった。
公立の施設側は、きちんと受講料を徴収しているが、私たちは週に2度の
講座をボランティアとして受け持っていた。
なにしろ、全く初めて日本語なるものを見る、喋るのであるから、教える方の
苦労は多いが、楽しいことも多かった。テキストは自分で作ったものを用いた。
日本人が英語の発音に苦労するのと同じで、彼らも日本語の発音には苦労する。
英語は子音で終わることが多いが、日本語は母音で終わるものがほとんどだけに
その辺りが難しい。
しかし、日本語もローマ字で書けば母音で終わるが、実際の会話ではそれほど
母音を強調しないものだ。だから、ローマ字表記で読ませると違和感があると
言うことも分かった。
たとえば「こんにちは」をKONNICHIWAと読ますとコニチワと言ってしまうし、
「おはよう」をOHAYOUをその通りに読ますとオハユウと読むことが多い。
いろんなことを思考錯誤しながら、教えていた。妻は英語が出来ないが、
私の喋り方は聞こえにくいので、妻に日本語をしゃべらすことにしていた。
私は、手さぐり英語でしゃべる。でも不思議と相手に通じている。
『私でも英語が喋れるのだから、君たちも日本語が喋れるはずだ』というと
うなずいてくれたものだ。
生徒とたちの付き合いも楽しいものになった。
一日も早く会話が出来るようになりたいらしい。
「 こんにちは」「おはようございます」「有難うございます」程度を覚えれば、
それでもう満足という人たちもいたし、もっと日本語が上達したいという生徒たちもいた。