《日本がん楽会の活動》
帰国してから組織を立ち上げたがん患者会の一つである「日本がん楽会」の活動を書き残しておきたいと思う。
これまで書いてきたものもあるので重複を避けるが 「がんサロン」は、大きな活動だった。国内で「がんサロン」を開催している府県は少ないころで、兵庫県では最初の「がんサロン」開設だった。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、一時中止にしてから再開できないままにこのグループが終わってしまいそうだが、やってきた実績だけでも書いておきたい。
活躍していた当時のメンバーは約百名あまりでした。最も多いときは120名でした、年会費は二千円です。 どんなことをやっているのかを書くと、
① がんサロン
毎月第二水曜日開催、午後 2~ 4 時半で,会場は JR元町駅近くの春貴ビルの四階でした。
だれもが集いやすい場所で神戸の中心の駅に近いところで開催できたのはとてもよかった。
このビルは従妹の御主人の持ち物で、従妹は二階で「玄米」を販売していたのだった。四階が貸会場だったが、気やすく貸してくれたので、会場探しで困ることがなかった。この従妹のはなしは別のところで書きたい。
「がんサロン」の最初の1時間は、ゲストを招いて楽しい集いの場としていました。はじめて参加された方が、第 2 部の話しあいの場にスムーズに参加できるように、先ずは一緒に楽しんでからという配慮からでした。
ゲストは、さまざまな楽器の演奏者、バンド、歌い手、ときには マジックショーやハワイアンダン ス、銭太鼓演奏など色とりどりですが、これらのゲストを探すのが 一苦労でした。ゲストには、プロの 場合一万円、アマチュアの場合は五千円の謝礼をしておりました。
第 2 部の “輪になって語ろう” では、椅子を輪にして並べ、さまざまなことをみんなで語り合います。
2013 年 3 月の場では、私が 「医師が質の高いよい医療ができるようになるために、患者側がもっと正しい症状などを提供することだと思う」と発案したのに対し、「医師が 患者である私の言うことを聞こうともしてくれない」と多くの参加者が訴えていました。
よい医師とは「患者の声に耳を傾ける」ことではないかと思っています。どうすれば医師と対等な立場で話せるようになるのだろうかと、語りあったものでした。
このように、毎回だれかの発言をきっかけにして、一時間半、話し合いの場が展開されておりました。
その後に従妹が、元はクラブだった場所を手に入れたので、そこを使ってもいいわよと言ってくれたので会場をそちらに移した。それまでは、二階まで急な階段を上り、二階からエレベーターで四階まで上がっていたが、年月が経つほどに、メンバーや参加者たちも階段を上がるのが辛くなっていた時期でもあり、別の会場を提供してくれたことは、とても喜ばれた。
三宮に近い場所でもあり、エレベーターを使えることも、会場内がまるでステージのようでもあり、毎月のゲストにも喜ばれ、参加者も大いに増えて賑やかだった。
恵まれ過ぎた会場で、楽しめたが真剣な話し合いには不向きかもしれないなと思う頃、その物件を手放すことになったと知った。元の会場に戻ることにしたのだが、楽な場所に慣れてしまったうえ、階段を上るのが辛いと参加者が減ってきた。
《がんサロンの会場を移す》
新たな会場を提供してくださったのは、西川伸一先生だった。世界的な科学者なのに、以前から親しくしていただいていたのだが、理研を退職されて社会福祉法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン(AASJ)を立ち上げて、奥様の里見先生ともども活躍されています。先生が毎日、世界から発進されている論文を読み解いて書いてくださっている「論文ウオッチ」は、多くの人にぜひ読んでいただきたい読み物です。
この会場では、これまでのようにさまざまなゲストを招いての第一部を楽しむことはできませんが、第二部の「輪になって語ろう」にはうってつけの会議テーブルがあり、2020年に新型コロナウイルスが猛威を振るいだした秋から「がんサロン」を中止したままに、この組織も終わろうかとしています。
先生の事務所には、論文が掲載されただけで一生食うのには困らない?とも言われる世界で著名な「サイエンス」とか「ランセント」などの学術誌が並んでいますが、西川先生は、いずれの学術誌にも、論文だけではなく表紙を飾っておられます。
《 ② がん教育講座 》
毎月第 3 水曜日、午後 1~4 時 (会場はがんサロンと同じの場合も、中央区役所の場合も)。
がんと正しく向きあうためには、がんとはなにかを知ることが大切だと 私は考えています。
そこで、もう一度私たちの身体を知ろうと生物学から学ぶことにしました。薬学や病理学、iPS 細胞など年間 12 回学びます。
講師はすべて私がつとめていましたが、この講座の目的は、当会の人材育成が目的でもありました。
その効果は、講座をはじめて5カ月目あたりから参加者の表情が変わってきたことでわかりました。
第 1 期の 全部の講座を受講した卒業生全員 (9 名)を運営委員に任命しました。
しかし、二人のがんに進行は止まらず、早くも副会長、事務局長の 2 名をがんで失ったのが悔しい思いです。
多くのがん患者会で組織を立ちあげた方が亡くなると理念さえ失われてガタガタになっていく様子をみているだけに、人材の育成はとても大切なことだと考えていたのでした。