世界には様々な文明が生まれ、それぞれに周囲に大きな影響を与えながら人々を支えている。
キリスト教文明が世界の果て全てではない。
わかりやすい例えを書いておこう。
これは司馬遼太郎さんの受け売りですが。
私達は、知っているようでいて、近くのことも知らないでいることが多い。
隣国の中国のことも知っているようであまり知らない。
三國志の話に酔いしれる人たちも、その話に酔っているだけで、歴史的に深く考えているわけではない。
中国という国は大きな文明を起こした国であり、日本もその影響を多く受け繋いできた。
4千年の歴史と言うけれど、ただの4千年ではない。
中国はその歴史上、多くの分裂と統合を繰り返してきた。
一つの王室、皇帝が民を養うには、それだけの才能がいる。
民が貧しくなると必ず叛乱が起こり次の時代へと置き換わってきた。
その中でも、面白いのがモンゴルと中國の関係だ。
モンゴルが、長城を超えて「元王朝」を築き約100年間中国を支配していた。
最後の皇帝で有名な「清王朝」は、満洲人が作ったもので約280年中国を支配していたし、中国の歴史には、周囲の外族に何度も支配されている。
今日はそんなことを言いたいのではないので省きます。
万里の長城は何のために作られたのでしょう。
外敵から国を守るためですが、梯子を外される掛ければ超えられる程度のものがあり、外敵を防げるの?と思ってしまう。
中國が恐れたのはモンゴルだった。だがモンゴルは騎馬集団だから長城がやくにたっていた。
モンゴルと中国は長い年月に亘る敵対関係だった。
ここから本題を簡単に書きます。
モンゴルは映像などを見てもわかるように、いちめんの草原地帯です。
草原に馬や羊を放ち、草を求めて移動しながら生活をする。草原に鍬を入れて耕すと、二度と草が生えない。移動生活からパオと呼ばれる住居が生まれ、馬乳から乳酸菌飲料を作って強健な身体を作った。
そういう地に、中国人が這入ってきて耕作を始める。草原がなくてはモンゴル人は生きていけない。
そこで戦いが起こる。文明の違いが戦をさせたのだ。文明の衝突である。
モンゴルは元王朝を中国を支配したが、中国文明自分の国に持ち込まなかった唯一の国でもある。
韓国、日本、ベトナムなど周辺国は全てチュウゴク文明の力影響を受けたことを思うと、モンゴルは毅然として自分たちの文明を失うことがなかった。
満州族が「清王朝」を築いたが、どっぷりと漢文明に浸り、自国の言語すら失ったのとは対象的だ。
現在も文明の衝突の戦争が起こっている。