中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

純文学に変化?私が古い?

私の子供の頃に、家の中には本と言えるものはなかった。

「家の光」と言う、農家向けの厚い雑誌が毎月届いていた。

しかし、祖父母が読み書きのできる人だったので、当時の農家では珍しく新聞を購読していたが、近隣で新聞を読む家がなかったので、学校正門横にある新聞販売所に立ち寄って持ち帰るのが私の努めの一つだった。

私は、まだ政治というものがどのようなものかも知らない時分から、政治面や経済面も含めてすべて読んでいた。読んでいると、子供ながらも政治というものが見えているように思っていた。

私の活字好きはその頃に始まったのかもと思う。

どういうきっかけで読んだのかは思い出せないが、

志賀直哉さんの「城崎にて」と言う本を読んだ時に衝撃を受けた。18歳のころだと思う。

短い文章の中に情景がありありと描かれている。

それが純文学って言うものだと一歳下の友から聞いて、純文学を読み漁った。

分かりもしないのに横道利一著の本も読んだ。

やはり志賀直哉さんの著作は暗夜行路などは面白く読めた。

そういう経緯があって当時から純文学作家の本を好んで読んだ。

夏目漱石川端康成太宰治芥川龍之介遠藤周作村上春樹さんなどきりがない。

芥川龍之介遠藤周作村上春樹夏目漱石さんの著書は全て読んだと思っている。

芥川賞が、年2回発表される度にすべて読んできた。

しかし、20年ほど前から、どうもついて行けなくなっている。

どうしてこの作品が選ばれたのか納得出来なくなっている。

時代の変化か、こちらの頭が硬いのか、これが芥川賞か?と思うようなのが選ばれるようになってきた。

時代が移り変わり、選考委員も大幅に入れ替わっている。

出版社の事情もあるのだろう、同時2作受賞も珍しくなくなってきた。

昔のように該当作品なし、などと言うような事は、今はない。経済を回すが、ここにもある。

さて、今回の2作は、どちらもまあ読める。

「貝に続く場所にて」の冒頭部分は久しぶりに良い作品に出会ったと思えたが、いつの間にか、著者は自分に酔ってしまったのか、やたら難しい熟語に凝り、迷走を始めた感がある。そうかと思えば、躊躇(ためらい)が何度も出てくるのは如何なものか。扱っている主題が難しいということもあるが、後半の文章に行き詰まり感が拭えない。

もう一つの「彼岸花の咲く島」は、これが芥川賞?と言うのが正直な感想だ。

面白く読めるので、作品に文句はないが、これが芥川賞?と思ってしまう。

私が偉そうに批判するのは可笑しいとは思ってはいるが、最近は心に響く作品が少ないなとおもっている。

純文学ではないが、私は司馬遼太郎さんの全著作が大好きであり、私を育ててくれた恩人と思っている。

全著作をを何度も読み返す度に心が満たされる。