中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「中国文明」と新型コロナウイルス蔓延の関係 ②

 この記事ではいったい何を書こうとしているのだろうと思っている

方も有ろうかと思います。実は中国文明が今の新型ウイルス蔓延と関係が

深いことを書いてみたいのです。 ところが文明と文化の違いを知って

頂かないと、話がごちゃごちゃになってしまうかも・・と、文明論を

少しばかり書いて結論に持って行きたいと思っています。文明論は、私が

大尊敬している司馬遼太郎さんの論をお借りしています。

 文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」

をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば

民族) においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは

普遍的でないものを文化と言う。文明は普遍的なもの文化は普遍的でないもの

と、割り切って考えれば理解が早いかと思います。

例えば青信号で人や車は進み、赤で停止する。この取り決めは世界に及んでいるし

普遍的という意味で言えば交通信号は文明である。

日本の室町文化が生んだような礼儀作法などは(たとえば)婦人がふすまをあけ

るとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいいと

いう合理主義はここでは成立しえない。不合理さこそ文化の発光物質なのである。

同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての

安堵感をもたらす。しかし、このような文化は日本で花ひらいても、他国に普遍的な

影響を及ぼすものではないのです。だからこそ文化であるといえるのです。

すなわち文明は、誰にとっても便利で快適な「モノ」。世の中にある、合理性を

追求した様々な有形の物質。建築物、道具、機械装置、衣服、インフラなど。

ハードであって、 文化は特定の地域、または特定のグループに所属する人々が、

「便利や快適さを超えて」「心の安寧をそこに投影する」「コト」。宗教、

言語、芸術、ファッション、思想、まつり、ボランティアなど、どちらかと

いうと無形なもの、精神的なもの。ソフトなものと言えましょう。

 文明と文化は「文明」開化の明治期以後新たに造られた漢語ではないだろうが、

現代人の意識する「文明」「文化」は、それぞれ、西欧のcivilization, cultureに

対応したものに違いない。(戦前は、法律、哲学、科学等の分野において、

それ以前には存在しなかった概念につき大量に造語した。戦後は、その努力を

ほとんどせずカタカナ言葉ばかりになっている。戦後、漢語訳を試みて定着

したのは、physical distributionに対する「物流」ぐらいしか思い浮かばない。

国語辞典を引いてみれば「文明」の反対語として「未開」とあるし、西欧でも、

未開の対置として文明が考えられてきたようである。西欧では非西欧社会が

「文明化」して国際社会の一員として認めうるか判断したという歴史がある。

 司馬遼太郎さんはエッセイ集「以下、無用のことながら」とか「アメリカ素描

とか「司馬遼太郎が考えたこと(1)~(10)「街道をゆく全冊」などなどに文明論

が書かれているので、ぜひお読みいただきたいものです。

「多数者には文明しかない。少数者には、びっしり文化が詰まっている」

ここで定義しておこう。文明とは普遍的なもの、たれでも参加ができる交通

ルールのようなもの、そして文化とは特異なもの、不合理なもの、さらには

それなしでは人間の心の安定が得られないもの。(「バスクへの尽きぬ回想」)

  文明とは多分に技術的でどの民族でもそれを採用でき、使用できるものを

指す。普遍性と言い換えてもいい。これに対し、文化は特殊なものである。

その家の家風、あるいは多民族にはない特異な迷信や風習、慣習をさす。

「たれでも参加できます」というのが文明という以上、文明は高度に合理的で

ある。 しかし、人間は文明だけでは暮らせない。一方において、「お前たち

他民族には理解できまい」という文化をどの民族でも一枚の紙の表裏のように

して持っている。従って文化は不合理なものといえる。という以上に不合理

ものであればあるほど、その文化の内部では刺激的であるといっていい。

「日刊断層」文明とはなにかを考える場合、ローマや中国文明などより、遊牧

という単純な文明の方がわかりやすい。文明はまず民族(文化)を超えていな

ければならない。遊牧文明の場合、そのやり方と道具をそろえさえすれば、

誰でも参加できる(普遍化する)のである。簡単な取り決めだけで、万人が

参加できて、しかも便利であるものを文明と考えたい。馬乳酒もまた、その

文明に欠かせないという点で、普遍性の高い文明材であった。しかし文明は

必ず衰える。いったんうらぶれてしまえば、普遍性を失い、後退して特異

もの(文化のこと)になってしまう。いま馬乳酒は世界の普遍性から見れば

特異であり、いまこれをニューヨークや東京のホテルで出すわけにいかない。

異文化(エスニック)もまた文明材となるときがある。たとえばジーンズは

20世紀のはじめ、デトロイトの自動車工の労働服だったという点で特異かつ

少数者のものであったのが、アメリカ内部の普遍化作用のなかで吸い上げられ、

世界にひろまったとき、新しい文明材となった。「文化と文明について」

 司馬さんの文明論文化論を簡単に紹介しただけで2千文字を超えてしまった。

次の③で、わたしの言いたい新型コロナウイルスと結び付けたい。