中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日露戦争と安倍政権 (1)

 昨日に予告したことを書き始めます。(1)と書きましたが

1回で終わってしまうかもわかりません。なにしろ頭に浮かんで

きたことを、そのまま入力していくのですから、大まかな話に

なることをご了承ください。

 タイトルをみて、直ぐに「わかった!」と感じた方も多いかと

おもいますが、私なりに書き進めますのでご寛容に。

 日露戦争など、あまりに古すぎる話だと感じた人も多いでしょう。

私はいまでも、日露戦争のうた?を 知っているのです。唄えます。

タイトルは「水師営の会見」です。歌詞を少し書いてみます。

(1)

  旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の 

  所はいずこ水師営

(2)

  庭に一本なつめの木 弾丸あともいちじるく くずれ残れる民屋に

  今ぞ相見る二将軍

 この歌は9番までありますが、私が暗唱していたのは3番までです。

 1番も2番も、すっと読める人は少なくなったのではないでしょうか。

  庭に1本は、ヒトモトと読み、民家はミンオクでした。

 ♪♪ リョジュンカイジョウ ヤクナリテ テキノショウグンステッセル

   ノギタイショウト カイケンノ トコロハ イズコ スイシエイ

 こんなことを書くと古い奴だな~と呆れられるかもしれませんが、

 どうしてこんなつまらない歌が85歳にもなって覚えているのでしょう

 かね。 日露戦争に関係する歌はいろいろありました。断片的なら

 いくつか覚えています。

 こういう軍歌は当然のことながら、軍隊や国民の士気が上がるように

 作られたものです。昭和の大東亜戦争の場合は、もっと露骨な歌詞に

 なりましたが、日露戦争当時の軍歌には哀愁のあるものも多かった。

 しかし、この「水師営の会見」の軍歌は、士気を煽るのが目的では

 なく、他に意図するところがあって作られたものだということが

 問題でもあるのです。

  ここで日露戦争とは何かを少し書いておきましょう。関心のある

 方は司馬遼太郎さんが書かれた小説「坂の上の雲」などが読みやすく、

 読み進むほどに楽しく分かり易いのではと思います。

  朝鮮と満州の支配権をめぐり日本とロシアの間でおこなわれた

 帝国主義的戦争です。1904年に日本の旅順攻撃で始まり、翌年に

 日本は奉天を占領、バルチック艦隊を迎え撃っての日本海海戦

 大勝利によって軍事上の勝敗はほぼ決定しました。

 1905年9月にアメリカのポーツマス講和条約が結ばれ、日本の

 勝利で幕を閉じます。その結果、日本は韓国の保護権が承認され

 得ることになったのです。

 この日露戦争は「日本の大勝利!!」として国民に伝えられました。

 国中が沸き立ったということです。何しろ大国ロシアを相手にしての

 大勝利ですから沸き立つのも無理はありません。でも、この「沸き立つ」

 おもいが、後々の昭和になってから、ご承知のような世界を知らない

 無智な軍隊を作ってしまう結果となり、世界相手に戦争を始めてしまった

 のです。 しかし、日露戦争は「侵略戦争」ではありません。日露戦争

 には、しっかりとした理由があって起こった戦争です。そういう意味で

 日清戦争や、太平洋戦争(日本の公式表記では「大東亜戦争」)とは、

 根本的な違いがあります。

 日露戦争は1904に始まっており、私が生まれたのは1934ですから

 生まれる30年も前の話です。なのに・・軍歌を覚えてる・・と言うことは

 それだけ、国民に歌われていたということなのでしょう。 そして、

 面白いことに・・私より5歳半も年下の妻の父親は日露戦争金鵄勲章

 もらっている! 妻の父が60歳の時に生まれた子供です。私の父は日清戦争

 と大東亜戦争に2度も招集されていますが、妻の父親は日露戦争!なのです。

 金鵄勲章の褒章は大きく、昔の国鉄のパスまで持っていたというし、年金が

 多かったといつも自慢していたそうです。本当かどうか確かめたわけではなく、

 妻の話だから、自信はもてませんが、戦争に勝ったということで功労者に対して

 手当が良かったというのは事実です。日露戦争に勝った! しかし、結果的には

 暴走日本軍を作る結果となってしまったのですが、なにがそうさせたのかを、

 次に考えたいと思っています。