中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

私流生き方(8)

私流生き方と言っても、無茶苦茶変わった生き方をしてきたわけではない。 一言で言いかえるならば、逆境にあっても絶対にくじけない。もうあかん・・という立場に立っても あきらめない。無から有を生じさせる(金がなくてもできる)。悪いことのあとは良い…

私流生き方(7)

村上看板店では2年間お世話になったが、ここを去る時がきた。 私は2歳半の時に母親と別れてから一度もあったことがない。 母親のことを聞くことはタブーでもあったので、誰にも聞けないから、消息さえ分からない。 母親のことを思わない日はなく、親子で歩…

私流生き方(6)

日本ケースという大変恵まれたところに1年間お世話になったが、事情があって近くの 看板屋さんに紹介していただいて住みこむこととなった。日本ケースから歩いて5分の ところで、親方同士が町内会の役員同士ということだった。 村上さんという当時すでに7…

私流生き方(5)

このブログを読んでくださっている方が、どういう年代かよくわかりませんが、 もし55歳以下の方ならいろんな意味で分かりにくい面があろうかと思いますので、 今回は少々注釈的なことを書いてみようと思います。 私の15歳の頃にはすでに住みこみの丁稚(…

私流生き方(4)

16歳、まだ幼いと言えばそれまでだが、勤め先のご近所の方からの誘いに その気になって仕事を変えてしまった。もちろん先の勤め先への不満があったからでもある。 狭い台所に3人の住みこみ店員。食事は最悪の上に猛烈に寒い環境の中で一日中立っての 仕事…

私流生き方(3)

16歳で祖父母や父親の兄弟姉妹たちなど、親せき全部の縁を切るほどの決心をして 2度目の島からの脱出をしてからが、正真正銘の「わが道」だった。 神戸中央職業安定所に職探しに行き、灘区水道筋にある、小間物・化粧品店を紹介された。 保証人がないと言…

私流の生き方(2)

父の死に目にも会わせてもらえなかった悔しさが胸を突き上げた。 物心ついた時から父と暮らしたのは2年ほどしかなかったので、父がシベリアから帰還した時には 夢のような心地だったが、僅か一日で夢が消え、そして父とほとんど会えないまま別れの日を迎え…

私流の生き方(1)

人には誰でも、それぞれの生き方がある。 もちろん生き方の哲学を持たないで、日々を送っている人も少なくない。 しかし、せっかく生まれてきたからには、何らかの目指すものを持って生きたいのではないだろうか。 がんになってから、それまで以上に生きる目…

耳鼻科医院はは小児科化している

鼻茸に悩まされている私は耳鼻科とは縁が切れない。もう何十年間も耳鼻科の お世話になっている。 風邪の炎症でか、鼻茸が大きくなり睡眠時呼吸が苦しくなって、正月明けを待ちかねて 耳鼻科を訪れたが、あまりの患者の多さにたじろいで帰ってしまった。 こ…

病気とはタンパク質の異常のこと

私はいろんな病気を持っている。 中華街の「南京町」にある漢方薬局には三角形の立て看板がぐるぐる回っているが、 三方には「がん」「ぜんそく」「痔」と書かれている。 私はその三つを持っているし、それでもまだ足りないぐらいだ。 だから病気には関心が…

珍しい人から電話

私のところには、「がん相談」の電話がよくかかってくる。 正午から深夜まで受け付けると書いてあるので、深夜の電話も多い。 昨夜も50分程度の深刻ながん相談電話を終えて深夜になった頃ベルが鳴ったので、 今度も相談電話だと思ったら、珍しい人からの電…

初夢

高齢になると夢を見ることが少なくなる。 たまに夢を見ても、その内容を覚えていない。 7日の夜に「初夢」を見た。 なんと、小・中学校の同級生の集まりの中に居た。 4年前に神戸で10人ほどが集まったことがあるが、夢に出てきたのは もう何十年もあった…

年の初めに思うこと

早いもので一年が過ぎた。 あっと言う間に過ぎ去ってしまった感じがする。 少年老い易く、学成り難しとはよく言ったものだとおもう。 一年の過ぎ去る早さは、年齢を重ねるほど早く感じるがどうしてだろう。 若い時も中年の時も、熟年と言われる頃も忙しかっ…